奇妙な体験
話は20年前のことになる。ボブ・カーヴェル幼少期の記憶をたどると・・・
旅行の概念も大きく変化していた。民間企業による月面や火星ツアーまでもが現実となり、200年前のレジャーとははケタ違いのスケールとなっていた。月面ツアーは20年前から、そして火星ツアーはつい最近のトレンドである。火星の居住区域内でも大量の酸素を生産できるようになったおかげで一気に開発が進んだのである。火星は当初各国、各分野の研究者たちがスペースコロニーから移住してきた。その後、多くの一般の実業家たちとその家族が移住してきた。火星で手に入る材料を使って3Dプリンティング技術により、数十というコロニーが建設されて総人口は1,000万人を超えたのである。そして多くの実業家たちは火星に観光客を呼び寄せようとしのぎを削っていた。
ボブの家族が旅行に選んだのは火星ツアーだった。10歳になる長男のボブの強い希望もあって火星行きが決まった。ボブは火星の特異な環境にとても強い興味を抱いていた。厳しい気候と大気、宇宙放射線と紫外線、地球に比べて弱い重力という人間にとって決して楽な環境ではない火星。人々が生活するための限定的な居住地をつくるのではなく、火星自体を地球に近い環境を持った惑星に変身させることはできないだろうか・・・このような発想を現実化するためのプロジェクトを紹介しているエリアがあった。ことのほかこのエリアを一度見学したいと思っていたのである。このエリアのメインメニューは実際の火星の土の上を歩いて探検するイベントだ。
ツアー客を案内する現地スタッフと一緒であるが、もちろん「宇宙服」を着用しなければいけない。このイベントがツアーの子供達の好奇心と冒険心をくすぐるのだ。
ボブの姉と母親はショッピング。着いて三日目にもうショッピングとは・・・一体火星に何をしに来たんだ。と、ぼやきながらも二人と別れた後父親とボブは探検ツアーに参加。このツアーに参加するのはほとんどが親子連れであった。ロビーには30組以上が集まっていた。ボブの父は隣にいた親子に話しかけた。
「どちらから・・・」
「私たちはルナシティから来ました」
やはり10歳くらいの男の子と一緒だ。
「ルナシティですか、月の重力は地球よりも軽いから火星でもすぐ慣れますね」
「そうだといいんですが、お宅はどちらから?」
「うちは地球の田舎町デンバーですよ」
「デンバーといえば立派な宇宙港がありますよね」
「前身はデンバー国際空港です。デンバー国際空港建設当時、広大な敷地を確保するためにデンバー中心部から離れてしまったことで苦情が殺到したそうですが、宇宙港に昇格するときに、この広い敷地が効を奏したそうですよ」
「何が幸いするかわかりませんね」
そうこうしているうちにツアーガイドのアナウンスが始まった。案内に従い宇宙服に着替えていよいよ外界へ出ていくのである。ガイド3人と人型ロボットが2体同行する。
気密室を出るとそこは火星の土壌だ。ツアー客たちは慣れない宇宙服と重力の違いから歩き方がおぼつかない。次のコロニーまで3キロ。徒歩で移動する火星探検の始まりだ。途中にクレーターがあるそうだ。ガイドの説明を聞いてみよう。
「このクレーターは直径158km、約30億年~40億年前に形成されたと考えられています。このクレーターに渓谷が接続しており、過去の火星において、液体の水か、水と氷がこのクレーターに流れ込んでいたと考えられています。クレーターの底面に塵旋風の痕跡も確認されています。右手20m先の底のほうに皆さん視野をズーミングして見ていただくとその痕跡が見えますよ」
「塵旋風(じんせんぷう)とは、地表付近の大気が渦巻状に立ち上る突風の一種で、一般的には旋風(せんぷう、つむじかぜ)や辻風(つじかぜ)と呼ばれています。竜巻と誤認されることがありますが、塵旋風と竜巻は根本的に異なる気象現象です」
「渓谷との接続部付近は地球で見られるような三角州です。このような三角州は地球では一万年から十万年といった時間をかけて形成されるもので、三角州の存在は水の流れが長期に渡り続いていたことを示しています・・・」
ボブは説明を熱心に聞き、視野を望遠側にズームして熱心にクレーターの底面を見ていた時、何かが光り、その光るものが動いたように見えた。
「なんだろう?」
火星を単なる移住地ではなく、人類の第二の故郷となるべき場所として、コロニーを作ってそこに住みつくという小さなはかりごとではなく、火星の地球化という壮大な「テラフォーミング」と呼ばれるプロジェクトが計画されていた。
しかし、この計画を好ましく思わない住民たちがいたのである。彼らは目をつぶっていたが、この時までは・・・そう、ボブ・カーヴェルが見た光る物体の正体こそが火星の真の姿を垣間見せていたのである。
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