最後の仕上げ

本編は「重要な課題」・・・続編です。


 ルスラン博士は続けた

「太陽の内部の温度と圧力は非常に高く、これによって水素原子が融合し、ヘリウムになります。その過程で莫大なエネルギーが放出され、それが太陽の動力源となっていることは曲げられない事実です。これが”核融合”です。今から約50億年後には、太陽は水素を使い果たし、死んでしまうといわれています。そのため、もし地球人類がそこまで生き続けていたならば、太陽に燃料を供給する方法を模索するはずです。そこで、ちょっとだけ時間を早めて、太陽のエネルギーを復活させることができるためのリハーサルを考えております。最後の仕上げに・・・」

 そして3か月後、ルスラン博士の言うリハーサルは日本の広島と長崎で同時に行われることになった。その理由は・・・

 1945年8月6日午前8時15分、広島市上空のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」からウラン型原子爆弾が投下された。原子爆弾は原爆ドームから南東約160m、高度約600mの位置で炸裂した。 建物内にいた人は全て即死し、建物は爆風と熱線により、大破し全焼した。

 高度約600メートルで炸裂した原子爆弾は、巨大なエネルギーを放出し一瞬にして高温の熱線と放射線を発し、通常爆弾とは比較にならない大きな被害をもたらすすほどのさまじい爆風を巻き起こした。

 爆心地から半径2キロ以内の地域は完全に焼き尽くされ、その周辺部も爆風によって家屋の大半が倒壊、広島市は一面の焼け野原となった。死者は爆発時の熱線やその後の火災による焼死のほか、爆風による圧死、残留放射線によって救護に従事した人が時間をおいて死亡するなど、被害は長期にわたって拡大した。

 そして、ひとりの被ばく女性がこの日、焼け野原となった広島市郊外で女児を産み落とした。磨理子と名づけられた。

 さらに、8月9日午前11時2分、長崎市にB29爆撃機「ボックスカー」から投下されたプルトニウム型原爆は松山町171番地の上空約500mで炸裂し、一瞬のうちに多くの尊い人命を奪った。200年以上たった今でも、その地には落下中心地標柱として黒御影石の碑が立てられている。園内には被爆当時の地層も残されており、そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガのほか、約3,000度の熱で焼け溶けたガラスなどが今も大量に埋没しており、厳重な管理のもとに保存されている。

 つまり、これまでにこの地球人類史上例を見ない核兵器による惨状を被った被災地であることが最大の理由である。なぜなら、ルスラン、ウィン両博士が立ち上げたのは、地球上のすべての核兵器を廃絶するための新たなプロジェクトなのである。


 そのプロジェクトとは、「太陽に核兵器を撃ち込む」というものだ。

 水素を利用している核兵器を撃ち込めば、太陽のエネルギーを復活させることができるのだ。この計画を実行するためには、地球上の核兵器をひとつひとつ集める必要があるのだが、その集約拠点として広島、長崎を選んだのである。今、人類は少なくとも未配備まで含めると25,000個の核兵器を持っている。それぞれが少なくとも100キロトンのダイナマイトのような爆発力を持つ。米国だけでも、第二次世界大戦中に長崎に投下された爆弾の60倍の威力を持つ核兵器を1,000個保有している。不意の爆発は絶対に避けなければならないのは当然だが、ワープ・ドライブを使った核廃絶のシステムを流用することで解決できる。このワープ・ドライブを使った核廃絶のシステムを監視・制御するコントロール施設を広島、長崎に設置したのである。もちろんワープ・ドライブ本体は宇宙空間にあるので、地上には核の影響は皆無である。

 最後は水素を燃料とする太陽に、ワープ・ドライブに待機させたすべての核ミサイルを「太陽に転送する命令」を出すだけなのだ。そして、太陽のエネルギーが再充電されるのを待つ。でも、20,000個の核ミサイルを転送しても太陽に変化はないだろう。なぜなら、太陽のエネルギーに比べれば核兵器の威力など大したことはない。太陽は、核兵器をすべて合わせたものの7,000万倍以上のエネルギーを毎秒発生させている。ヘリウムを作るための水素が足りなくなったからといって、水素を利用した核兵器をぶち込むという行為は、山火事にマッチ箱を投げ込むようなものなのだ。

 そのため、地球人類の現代の技術でも、太陽を復活させることも、破壊することも不可能であるが、核廃絶のためのシナリオとしてはたいへん有効なのである。

 サリームたちは広島と長崎の二手に分かれてセレモニーを見守っていた。ウィン博士は広島に、そしてルスラン博士は長崎に赴きセレモニーを仕切った。事前の周知により当然ながらメディアも現地に集結していた。

「・・・ついにこの時がやってきました。長い歴史の中でも大変大きな転換期を迎えるこの瞬間が刻一刻と迫ってきました。あと数分で、地球人類は一度も途絶えることがなかった”核の脅威”から解放される時がやってくるのです。地球上のすべての核兵器が、ここ広島と長崎の遥か上空、宇宙空間のワープ・ドライブ施設に集結しています。その数なんと30、000個に近い数の核兵器が集められ、超巨大なワープ・ドライブがこれらの核兵器を懐に飲み込んでいます。そして、人類が作り出した悪魔、けっして消えない悪魔が跡形もなく消え去ろうとする瞬間が近づいています。遥か200年前に、日本の広島そして長崎で初めて使用された核爆弾が、人類にもたらした悲劇は計り知れないものがありました。核廃絶の試みはこれまで幾度となく試されてきましたが成功できませんでした。しかし、今日ここで我々が目撃する事実こそは、間違いなく成功の道しるべを築いてくれることを願っています・・・」

メディアのアナウンサーが興奮気味にまくし立てていた。

 ついに広島と長崎で同時にワープ・ドライブの転送スイッチがスワイプされた。そして間違いなく太陽に向かって核兵器が一斉に転送されたことが確認されると盛大な拍手が沸き起こった。全人類が一つになった印としての拍手でもあった。拍手は全ての国、地域の住人に届き連鎖していった。

 その後太陽に変化が起きた形跡はなく、何の異変も確認されなかった。完全なる成功と言っても過言ではなかった。

 

 銀河連合を代表して傍観していたシャリーが、銀河連合に対して、地球の”核保有の放棄”を宣言してくれた。これによって地球に対する銀河通商の権限が改められた。同時に”核アンチシステム”の導入を義務付けられることとなった。地球は銀河通商の範囲拡大を大幅に承認され、テクノロジーの進化と経済効果は計り知れないものになった。

 

 サリームたちは引き続きこれまでと変わらず、地球の安全と秩序を維持するために務めを果たそうとしていた。


 そして最後に一言伝えておこう。

 サリームメンバーはもちろんだが、ジミー・オルソン、ウィン、ルスラン両博士を加え、さらにマリコフの配下から地球人に寝返ったラクサム人の面々たちのことを・・・彼らのことを地球の人々はアース・セイバー《救世主たち》と呼んでその功績を永く讃えることとなったのである。



…完





 《救世主たちの物語》をお読みいただきありがとうございます。

 正直言って小説を書き始めた最初はこんな長編になるとは想像していませんでした。本来ショートストーリーのつもりだったので、当初からプロットなど何も設定せずに闇雲に書き始めてしまいましたが、週に1~2話のペースで執筆してきて、1年以上かけてようやく完結までたどり着くことができました。アラもありますが、長編処女作ということでご容赦くださいませ。よくもまあ完結できたと我ながら驚いています。最低週に一話のペースをノルマとしてきましたが、期日直前までまったく執筆が進まないのが当たり前でした。よく作家の先生が締め切り間際になって、編集者に部屋に缶詰めされて執筆している姿を見たことがありましたが、切羽詰まった状態にならないとアイデアが浮かんでこないものなんだと実感した次第です。

 末尾になりましたが、今回情報収集のために閲覧させていただいたウェブサイトの皆様には心より感謝申し上げます。



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今回Web上で無料公開されている作品に細かな修正を加えて、電子書籍として出版し ました。

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写し屋爺の独り言by慎之介

SFショートショート集・・・《写し屋爺の独り言by慎之介》 写真関係だけではなく、パソコン、クラシック音楽、SF小説…実は私は大学の頃、小説家になりたかったのです(^^♪)趣味の領域を広げていきたいです。ここに掲載のSFショートの作品はそれぞれのエピソードに関連性はありません。長編小説にも挑戦しています。読者の皆さんがエピソードから想像を自由に広げていただければ幸いです。小説以外の記事もよろしく!

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