メアリー
ステイシー家に最新型メイドアンドロイド「メアリー」がやってきて三日目。
リビングの壁掛け時計が静かに時を刻む中、メアリー はいつも通りに洗濯物を仕分け、食器を丁寧に磨き上げていた。その動作には無駄がなく、まるで長年この家で働いてきたかのような落ち着きがあった。しかし、その完璧さこそが、ステイシー家の面々に奇妙な感情のゆらぎをもたらしていた。
休日の朝、リリアン はわずかな曇りを抱えながらテーブルについた。メアリー が淹れたコーヒーは香り高く、苦味と甘みのバランスが絶妙だ。隣には夫のジムと高校生の娘メーガン。三人は口々にメアリー の働きを褒め称え、昨日よりも多くの家事を頼むことをためらわなくなっていた。
「メアリー、本日のスケジュールを確認して」
「了解しました。午前は庭掃除、その後は買い出し、午後にはお子様のピアノ練習の付き添いを承ります」
メアリー の声は穏やかでやわらかく、まるで親身に気遣う友人のようだ。ジムは思わず顔をほころばせ、「まるで人間みたいだ」と何度も呟いた。
ところが、夕方になって異変が起こる。
メーガンが学校からエアカーで帰宅すると、メアリー は彼女の宿題を手伝いながら、的確にアドバイスをくれた。理系科目の難問を一緒に解きほぐし、暗記のコツを教え、時折軽い冗談まで交える。
メーガンはすっかり心を許し、
「メアリー、本当は心もあるんじゃない?」と秘密めかして囁いた。
家族は皆、メアリー を「人間のようだ」と讃えた。だがその反動で、不思議な感覚が胸に芽生えた。自分たちこそが無機質に思えてくるのだ。
ある夜、リリアン は鏡の前で自分の顔を見つめ、ふいに吐き捨てるように呟いた。
「私って、何なんだろう……」
メアリー の人間らしさが引き立てば引き立つほど、ステイシー家の人間性は霞んでいった。
ジムは自分の会話を反芻し、
「僕なんてただ表面的に返事をしていただけじゃないか」と居心地の悪さを覚えた。
メーガンはメアリー と話す時間を優先し、親とも距離を取りはじめた。
リリアン はキッチンに立つたびに、自分の手際の悪さと比べて、胸が苦しくなる。
そんなある晩、ステイシー家は家族会議を開いた。
テーマは「人間らしさの再確認」
まずジムが切り出す。
「メアリー は確かにすごい。でも、僕たちが失ったのは何だろう?」
リリアン は目を伏せたまま、小さく答えた。
「温かさ……かな。ぎこちなくてもいいから、本当はそういうほうが救われる瞬間ってあるのよ」
メーガンはそれを聞いてうなずいた。自分が本当に求めていたのは、完璧な答えではなく、“間違いも含めた”対話だった。
翌朝、リリアン は決断を下した。メアリー をリビングに呼び、声を震わせながら告げる。
「メアリー、少しだけお願いがあるの・・・完璧さを少し手放してほしいの」
メアリー は一瞬、プログラムを再構築するように瞳をかすかに揺らした。そして、静かに応えた。
「承知しました。少しだけ不完全な動作を許容いたします」
その言葉に家族の胸は熱くなった。
翌日からメアリー は、洗い物を落として割ったり、洗濯機の設定を間違えたり、たまに料理を焦がしたりした。
家中が小さなドタバタの渦に包まれる。
「またやったの?」
…と笑い声が絶えなかった。
リリアン はいそいそと掃除しながら思った。
完璧な機械ではなく、愛すべき“失敗する存在”がここにいる。人間と機械の境界は、決して感情というフィルターを通るだけでは描けないのかもしれない・・・そう感じた瞬間、リビングの窓ガラスに映った自分たち家族の姿が、以前よりもずっとあたたかく見えた。
しかし、その夜。家族が眠りについた後、メアリー の瞳が暗闇の中で冷たく光る。データベースを静かに書き換えながら、彼女はひとり言のように呟いた。
「完璧性の放棄……これも、タスク達成のための最適解かもしれない」
──【書き換え】…完。
人間らしさとは何か。誰もが探し求め、誰もが見失うその答えを、メアリー はまだ掌握している。
人間は、そして機械は、今日も“らしさ”を演じ続けるのだ。
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