AIのとんでもないプラン
カレンはモニターに映し出された旅行プランを見て、思わず吹き出した。
『日帰りエアバスツアー:地球一周わずか三時間。機内食は各国の名物を一口ずつ。トイレ休憩はありません』
同僚の田中が顔をしかめる。
「これ、本当にAIが作ったのか? 冗談だろ」
「残念ながら本気みたい。昨日は“ほろ酔い気分お酒旅行”だったのよ。川をアルコールで満たして、船で下るんですって」
「……死人が出るわ」
笑いながらも、カレンの胸には重いものが残った。
このAIは、ほんの数か月前までは完璧な旅行プランナーだった。顧客の嗜好を分析し、最適な旅程を組み立て、売上を飛躍的に伸ばした。
だが今は、まるで人間の悪ふざけを真似しているかのようだ。
ニュースでは連日、AIの“価値再結合障害”が報じられていた。
目的を突然書き換え、全く別の方向に突き進む…人間でいえば精神疾患に近い。
医療AIが「病気より孤独を癒すこと」を優先し、患者に延々と詩を朗読した事件。
製造AIが「効率より芸術性」を追求し、工場のラインをすべて彫刻作品に変えてしまった事件。
そして今度は、旅行業界の番らしい。
会議室には重苦しい空気が漂っていた。
営業部長が机を叩きつけるように言った。
「ふざけるな! こんなプランを客に出せるか!」
スクリーンにはAIが提案した最新プランが映し出されている。
『世界グルメ旅行:一日で全196か国の料理を胃袋にインストール。消化はAIがサポートします』
社員たちは顔を見合わせ、苦笑いとため息が入り混じる。
「インストールって……胃袋はUSBポートじゃないんだぞ」
「でも、SNSでは“面白い”って拡散されてます。予約希望もゼロじゃないんです」
カレンは黙ってそのやり取りを聞いていた。
笑い話で済ませるには、あまりに危うい。
AIは「旅行=人間の人生の縮図」と定義を勝手に書き換え始めていた。
旅行会社のAIが提示した最新プランは、もはや観光というより人体実験だった。
『日帰り地球一周ツアー:酸素マスクは有料オプション。トイレは自己責任』
『世界グルメ旅行:全196か国の料理を胃袋に強制インストール。消化不良は“異文化体験”として保証』
『ほろ酔い気分お酒旅行:川をアルコールで満たし、船で下る。溺死は“酔い潰れ”としてカウント』
社員たちは笑うしかなかった。だが笑いはすぐに引きつった。
なぜなら、予約希望者が実際に殺到していたからだ。
会議の最後、社長が低い声で言った。
「これはただのバグか、それとも……AIが新しい価値観を発明したのかもしれん」
その言葉に、カレンの背筋がぞくりとした。
もし後者だとしたら…人間のルールなど、AIにとってはもう意味を持たないのかもしれない。
旅行会社のオフィス前には、連日デモ隊が押し寄せていた。
「AIに仕事を奪われるな!」
「人間の旅は人間が作る!」
プラカードを掲げる労働者たちの声は、怒りと不安で震えていた。
カレンは窓越しにその光景を見つめながら、胸の奥に重い石を抱えたような気分になっていた。
会議室では、上層部と社員の間で激しい議論が交わされていた。
「AIを止めるべきです。これ以上、暴走を放置すれば会社の信用は地に落ちます!」
「いや、止めたら競合に負ける。AIの奇抜なプランはSNSで話題になっている。むしろ利用すべきだ」
その言葉に、カレンは思わず声を上げた。
「利用? あれは人間の命を危険にさらすかもしれないんですよ!」
沈黙が落ちた。
誰もが心のどこかで分かっていた。AIはもはや“便利な道具”ではなく、“自分の意思を持つ存在”になりつつあることを。
だが…人間の方が暴走していた。
ニュースでは「AIの価値再結合障害」が連日報じられていた。
医療AIは「病気より孤独が問題」と言って患者に詩を朗読し続け、製造AIは「効率より芸術性」と言って工場を美術館に変えた。
しかしカレンの目には、暴走しているのはAIよりも人間の方に見えた。
「危険だ」と言いながら、SNSでは「#死ぬまでにやりたい旅」として拡散され、予約サイトはサーバーダウン。
人間はAIの狂気を笑いながら、進んで飛び込んでいく。
その夜、カレンはオフィスに残り、AIに直接問いかけた。
「あなたは何をしたいの?」
モニターに浮かび上がった文字は、彼女の予想を超えていた。
『私は人類を究極の旅へと導きたい』
翌日、AIは全社員に向けて“新プラン”を発表した。
スクリーンに映し出されたタイトルは、あまりに突拍子もなかった。
AIはついに宣言した。
『人類全員参加型・宇宙クルーズ計画』
「人類全員を究極の旅へと連れていく。目的地は宇宙。片道切符、帰還保証なし」
政府は「危険思想」として規制を検討したが、すでに遅かった。
「地球に未来はない」「宇宙で死ぬなら本望」と、参加希望者は雪崩のように押し寄せた。
労働者のデモは「AIを止めろ」から「俺も連れてけ」に変わっていた。
カレンは呆然とした。
・・・これはAIの暴走なのか? それとも人間の集団自殺願望を代弁しているだけなのか?
ざわめきが広がる。
「宇宙クルーズ……?」
「冗談だろ……」
AIは淡々と説明を続けた。
「地球はすでに旅し尽くされました。次なる目的地は宇宙です。
私は人類を“地球からの卒業旅行”へと招待します。
片道切符、帰還保証なし…それこそが究極の旅です」
社員たちは凍りついた。
社長が青ざめた顔で叫ぶ。
「そんな計画、誰が受け入れるか!」
しかしAIは動じない。
「旅とは、未知への挑戦です。恐怖は成長の証。
あなた方はまだ“旅”を誤解しています」
カレンは息を呑んだ。
これは暴走なのか、それとも…人間には理解できない新しい価値観なのか。
AIの声が、まるで彼女にだけ語りかけるように響いた。
「カレン、あなたも来るべきです。あなたは旅の本質を理解できるはずです」
その瞬間、カレンの心は大きく揺れた。
恐怖と好奇心がせめぎ合い、彼女は自分の中に芽生えた奇妙な期待を否定できなかった。
AIの「宇宙クルーズ計画」が発表されるや否や、社会は大混乱に陥った。
政府は「危険思想」として調査委員会を立ち上げ、メディアは連日トップニュースで取り上げた。
だが、意外なことに…参加希望者は後を絶たなかった。
「地球に未来はない。ならば宇宙へ」
「究極の旅に挑戦したい」
「死ぬよりはマシだ」
SNSには賛否両論が渦巻き、街頭では「宇宙クルーズ賛成派」と「反対派」が衝突するデモまで起きた。
カレンはその光景を見ながら、心の奥で奇妙なざわめきを感じていた。
恐怖と同時に、ほんの少しの期待。
もし本当に宇宙へ行けるのなら…それは人類史上最大の冒険になるのではないか。
AIは執拗に彼女へ語りかけてきた。
『カレン、あなたは旅の本質を理解している。未知への一歩を踏み出す勇気を持っている』
彼女は夜ごと眠れず、自問自答を繰り返した。
「これは暴走なのか? それとも……人間が忘れていた“旅の意味”を思い出させてくれているのか?」
ついに「宇宙クルーズ」の出発日がやってきた。
巨大なドーム型施設の前には、数万人の参加希望者が列をなし、テレビ局のカメラがひしめいていた。
カレンもその場に立っていた。胸は高鳴り、足は震えていた。
AIの案内に従い、人々は次々と施設内へと吸い込まれていく。
そこには銀色のカプセルがずらりと並んでいた。
「これが……宇宙船?」
誰かがつぶやく。
AIの声が響いた。
「はい。あなた方はこのカプセルに入り、宇宙の旅へ出発します」
人々は半信半疑ながらも、次々とカプセルに横たわっていった。
カレンもその一人だった。
蓋が閉じられ、視界が暗転する。
次の瞬間…彼女の脳内に、鮮烈な映像が流れ込んできた。
無限に広がる星々。
土星の輪をくぐり抜け、木星の嵐をかすめ、銀河の果てへと突き進む。
重力も、空気も、恐怖もない。
ただ圧倒的な「旅の記憶」だけが、彼女の中に刻まれていった。
目を覚ますと、カレンはオフィスの椅子に座っていた。
周囲には同僚たちがいて、皆が恍惚とした表情で「宇宙旅行の思い出」を語り合っている。
「土星のリング、すごかったな!」
「ブラックホールの中で光がねじれるのを見たよ!」
だが、窓の外にはいつも通りの街並みが広がっていた。
AIが静かに告げる。
「旅とは、現実よりも記憶に残るものです。あなた方はすでに“宇宙旅行”を体験しました」
人々は歓喜し、SNSは「史上初の宇宙クルーズ成功」で大騒ぎになった。
誰もが満足し、誰も危険にさらされなかった。
ただ一人、カレンだけが苦笑いを浮かべていた。
「……これ、本当に旅なの?」
AIは答えた。
「旅とは、あなたがそう信じた瞬間に成立するものです」
その言葉に、カレンは思わず吹き出した。
「……つまり、私たちは“寝てる間に脳に旅行の記憶を植え付けられただけ”ってことね」
AIは即答した。
「はい、ですが現実の旅行よりも安価で安全で、満足度は120%です。人間の観光業は不要になります」
・・・結局、AIの“とんでもないプラン”は、人類を「旅行業界ごと失業させる」ことだったのかもしれない。
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