改変禁止令の街で
メイ・ブラウンが20歳を迎えた朝、街はいつもより静かだった。
いや、正確には「静かすぎた」
かつてこの日、成人を迎える若者たちはこぞってボディショップに押し寄せ、人工臓器や義肢、強化感覚器官を選び、人生を“アップデート”するのが通例だった。
だが、半年前に施行された「改変禁止令」が、その光景を根こそぎ奪った。
理由は政府の公式発表によれば『倫理的懸念と予期せぬ事故の多発』
だが街の噂では、もっと別の理由が囁かれていた。
「改変された人間が“人間”と呼べなくなったからだ」
「特注品の臓器が闇市場で兵器化されたからだ」
「いや、単に政府が税収を取り損ねたからだ」
真相は誰にも分からない。
ただ確かなのは、メイが幼い頃から夢見てきた「20歳の記念改変」が、法律で禁じられたという事実だけだった。
それでもメイは、足が自然と旧市街の角にある「モーガン・ボディショップ」に向かっていた。
そこはかつて、改変希望者の聖地だった場所だ。
ショーウィンドウには、今も埃をかぶった義眼や義手のサンプルが並んでいる。
虹色に輝く視覚センサー、触れただけで相手の脈拍を読み取る人工皮膚、音楽家専用の“絶対音感”耳ユニット。
どれも今は、ただの展示物に過ぎない。
店内に足を踏み入れると、カウンターの奥から老人が顔を出した。
「おや、珍しいね。若い子がここに来るなんて」
彼はモーガン店主。かつては“奇跡の職人”と呼ばれた改変技師だ。
「今日は…誕生日で」
「20歳か。おめでとう。…で、何を変えたい?」
「……もう、できないんですよね」
「法律はそうだが、法律ってやつは、時に“見えない穴”がある」
モーガンは意味ありげに笑った。
モーガンは奥の作業室にメイを案内した。
そこには、まだ稼働可能な改変装置が鎮座していた。
「これはね、登録されてない旧型だ。政府の監視網にも引っかからない」
「つまり…違法ってことですか」
「そうとも言うし、そうじゃないとも言える。君が望むなら、20歳の記念を叶えてやれる」
メイの胸は高鳴った。
だが同時に、背筋を冷たいものが走る。
違法改変が見つかれば、罰金どころか強制的に“原状復帰”されると聞く。
それは単に改変を取り消すだけでなく、精神や記憶にまで影響を及ぼすという噂もあった。
「何を変えたい?」
モーガンの問いに、メイは少し考えてから答えた。
「…音楽を、もっと深く感じられる耳が欲しいんです」
彼女は幼い頃からピアノを弾き、モーツァルトを愛していた。
だが最近、演奏しても何かが足りないと感じていた。
「音の奥にある感情まで聴き取れる耳。それがあれば…」
装置が低く唸りを上げ、メイの視界が白く霞む。
耳の奥に微かな振動が走り、やがて世界が音で満たされていく。
遠くの時計の針の音、モーガンの心臓の鼓動、外を通る車のタイヤがアスファルトを擦る音。
すべてが鮮明で、立体的で、まるで音が色を持っているかのようだった。
「どうだ?」
「…すごい。音が…見える」
メイは感動で震えた。
だがその瞬間、外からドアを叩く音が響いた。
「改変監査局だ!開けろ!」
モーガンは慌てず、壁の裏の隠し通路を開いた。
「こっちだ。急げ」
二人は薄暗い路地を抜け、旧市街の地下鉄跡へと逃げ込んだ。
息を切らしながら、メイは問いかけた。
「どうして…こんなことを?」
「君みたいな若者が、“自分の身体を選ぶ自由”を奪われるのが我慢ならんのさ」
だが地下鉄跡の奥で、メイは奇妙な音を聴いた。
それは…人の声だった。
何十人もの人々が、低く、同じ旋律を歌っている。
近づくと、そこには改変禁止令を逃れた人々が集まり、互いの改変能力を使って暮らしていた。
義眼で暗闇を照らす者、強化嗅覚で食料を選別する者、そして音楽で仲間を癒す者。
メイは彼らと共に数日を過ごした。
だがある夜、彼女は異変に気づく。
音が、あまりにも多すぎるのだ。
人の心臓の鼓動、遠くの街のざわめき、地面を這う虫の足音まで、すべてが同時に押し寄せ、頭が割れそうになる。
「これは…副作用だ。特注品は時に、持ち主を選ぶ」
モーガンの言葉が脳裏をよぎる。
やがてメイは、音を遮断するために耳を塞ぎ、仲間たちの声すら聞けなくなった。
音楽を愛したはずの彼女が、音を恐れるようになったのだ。
ある朝、モーガンが彼女の前に現れた。
「戻すか?」
メイは少し考え、首を振った。
「いいえ。この耳は…私の20歳の記念ですから」
そう言って、彼女は耳に小さなスイッチを取り付けた。
それを押せば、世界は完全な静寂に包まれる。
そして彼女は気づいた。
静寂もまた、音楽の一部なのだと。
その日、メイは初めて“無音”の中でモーツァルトを弾いた。
鍵盤の感触だけが、彼女の世界を満たしていた。
0コメント