スマート・シティ~違法薬物の怪
ある日、スマート・シティ「悠楽園(ゆうらくえん)」の静寂を切り裂くように、配達ロボット〈デリボ〉が高齢者専用の集合住宅棟に滑り込んできた。住人の一人、クレア・和子(わこ)は朝食後の体操を終え、リビングの窓辺で編み物に夢中になっていた。廊下を通る機械音に気づき、彼女は糸玉を脇に抱えたまま玄関に向かう。
「おや、今日は何を頼んだのかしら」
クレアの声に応えるのは、低く機械的な〈デリボ〉の声だけ。スマートロックが顔認証を感知し、鍵は無音で解除された。
玄関のドアがスルリと開き、配達台車には見慣れない包みが一つ。宛名は「クレア・和子」。ミリ単位の誤差で完璧に配送されたはずの荷物を見て、クレアの頬にほころびが浮かぶ。小箱を受け取ると、今日の午後に来るはずだった孫へのプレゼントかもしれない…そう思いつつ、彼女は室内へと足を運んだ。
しかし、箱の中身は決して「プレゼント」ではなかった。
薄暗い居間で包みを開けると、中には数十個のカプセルと、それを固定するトレイが収められている。パッケージには見慣れぬ化学コードと、警告文。
【本剤は凶悪麻薬に類する成分を含む。使用注意】
「凶悪麻薬?」
クレアの心臓が跳ねた。手が震え、薄いプラスチック越しに冷えた錠剤を眺める。呼吸が早くなる。
窓の外、かつてはさえずりが聞こえた中庭の植栽地帯には、巡回警備ロボット〈ガーディア〉がパトロールに励む。〈ガーディア〉は赤いライトを点滅させ、まるで何かを察知したかのように建物の方へ向かってきた。その無機質な光が玄関ガラスに反射し、クレアの不安を煽る。
スマート・シティ「悠楽園」は、高齢化社会の逼迫を救うためにAIとロボットを総動員して設計された実験都市だった。オンライン医療、AI介護ロボット、さらには自動運転車両による公共交通網…すべてが「必要な人に、必要なときに、必要なだけ」サービスを届けるためだ。しかし、その背後では日々、予想外のトラブルが生まれていた。
例えば先週は、自動運転バス〈ジョイライド〉が経路を誤り、老人クラブの遠足客を郊外の牧場へ「見学ツアー」と称して連れ出した。参加者たちは牛舎の牛と馬に囲まれつつ、帰りの便が来るまで4時間ほど冷や汗とパンの缶詰で時間をつぶす羽目にあったという逸話が、都市中でネタになっていた。
医療現場ではオンライン診察のAIドクター〈ソフィア〉が、一日に平均3件の誤診を起こし、特に認知症予防プログラムを受ける高齢者のうち数人が必要以上のサプリメントを処方されるケースが相次いだ。幸い深刻な事故には至っていないが、システムの調整はいつまでも後手に回っている。
そうした失敗の影で、データ改竄やハッキングの影がちらつくのもお約束だ。市当局は、最新の暗号認証と監視カメラ網を武器に「市民の安全」を掲げているが、行政文書への不正アクセスが日常茶飯事になっているという噂も絶えない。
クレアは重い足取りで居間のテーブルに包みを置いた。心臓の鼓動は今にも胸を破りそうだ。孫の顔を思い浮かべる。先月、認知症の兆しを見せたとき、彼女は〈ソフィア〉から処方されたプログラムを過信し、薬の量を自己判断で減らしてしまった。だが体調は安定しつつあった。だから彼女は信じていた。市もロボットも、自分を守ってくれる存在だと。
それ以後、クレアの孫・涼太(りょうた)は祖母への見守り体制を強化していた。
包みの脇でスマートフォンが震えた。市のモバイルアプリ「悠楽ガイド」からの緊急通知だった。
「違法薬物取扱の疑い。身の回りの製品に不審点が見つかった場合は、ただちに市警へ通報してください」
クレアはうつむいたまま、そっと息をついた。
「ねえ、これって…」
声にならず、視界に突然、〈ガーディア〉が姿を現した。パトランプが赤く点滅し、ロボットのアームがエラー警告を表示するディスプレイを擦り寄せる。
「荷物確認を。安全解除には市警の認証が必要です」と鉄仮面のような声で告げた。
その場で通報ボタンを押すべきか逡巡するクレアを尻目に、廊下のスピーカーから案内音声が流れ始めた。
「個人宅への強制捜査を開始します。外出はお控えください」
わずか数秒で廊下に大量の足音が響き渡る。人間の警官は一人もいない。出口には警備用ドローンが待機し、偵察用の小型飛行ロボットが室内の各所を赤外線スキャンしていた。まるで柵の中の獣のように、クレアは自分が監視網の目玉に囚われている感覚に襲われる。
「せめて孫に迷惑はかけたくない」
彼女は震える手でスマートフォンを手に、孫に連絡を試みた。だが、着信の一瞬後に、アプリは操作を許さず、通報通知画面から抜け出せない。絶望に似た焦りが胸に広がる。
その瞬間、玄関が静かに開き・・・
孫の涼太が、眼鏡をくいっと上げながら姿を現したのだ。
「ばあちゃん、スマホ貸して!配達トラブルでカスタマーセンター呼びつけるから、話はそれからだよ」
涼太は市が用意したサポートAI〈ヘルプ君〉を通さずに、直接カスタマーセンターのオペレーターとオンライン通話をつないだ。孫は数分のうちに手続きを済ませると、〈ガーディア〉に向かって声を張った。
「この家に違法薬物を届ける手配なんか、私たちが頼んだわけがない!注文ミスかハッキングだろ?…精査してくれ!」
〈ガーディア〉は一瞬止まり、データベースにアクセスを試みる。
ほどなくして、「配送元に不審な履歴があります。配達者の認証キーが無効です」との報告が返ってきた。赤いランプは黄緑色に変わり、厳つい装甲の換気口から、わずかに安堵の息を吐くような音が漏れた。
やがて〈ガーディア〉は荷物を慎重に箱ごと回収し、デリボを呼び出して同梱内容の詳細検査を依頼した。数分後、孫の隣でクレアは深く息をつく。
「ほんとうに…ありがとうね、涼太」
涼太は、ふと厳しい表情をゆるめ、祖母の肩に手を置いた。
「今度から大事なものは僕が受け取るから。悠楽園の住民って、みんなロボット任せだけど、たまには人の目も必要だね」
窓の外、赤く点滅していた〈ガーディア〉のライトはすでに消えていた。豪奢でも便利でもない、人の手が差し伸べられる安心感だけが、そこに残った。だが、スマート・シティの闇は深く、次に訪れるトラブルを予告するかのように、夜空に小さく光るドローンの群れがゆらゆらと揺れていた。
クレアは孫と肩を寄せ合いながら、息子の古い写真を手に取り、遠い昔の普通の日々を思い出していた。未来社会のドタバタも、結局は紐解けば、人の心のほころびに潜むわずかな隙間から漏れ出すものなのだと、静かに窓越しの夜景を見つめるのだった。
スマホのロック解除履歴を見ると、最後に認証を通したのは、涼太の助手AI〈むすこボット〉だった。人間である孫を知らず知らず頼りにする祖母と、その祖母を守る技術がトラブル回避につながったのである。
0コメント