選択

 僕は事故にあった。それも本来起こりえないような事故である。僕の乗ったエアカーが突然制御不能になってしまったのである。高度100メートルからの落下である。昔のように運転者の運転ミスということはあり得ない。だって、今の乗り物は完全自動制御で走行するので、「運転」という行為自体が不要なのだ。責任はおそらくエアカー製造のメーカーにあると予想しているが、走行ネット(エアカーなどの車両が飛行するために、予め定められた領域を管理運営し提供している法人の誘導システムのこと)運営会社のシステムエラーも考えられる。

 そんなことよりも今僕に課せられた問題は、僕自身の身体の再生方法である。幸いにして意識もあるし、脳の損傷は最小限にとどめられている。ドクターの説明では、右眼、両足、左腕、内蔵の三分の一は代替え臓器が必要と言われた。その代替え臓器が問題なのだ。

 サイボーグの意味は「生き物と機械を融合させたもの」。不全に陥った臓器を代替する人工臓器がサイボーグ技術。体のどこまでを残していればサイボーグと呼ばれるのか、その境界がいまだにあいまいなのが現実。法的には「身体の50パーセントを超えたらサイボーグと認められる」とされているが、人間のままで生きるメリット、デメリット、そしてサイボーグとして生きるメリット、デメリットがあるのだ。その境界線の岐路に僕は今立たされている。

 明らかに不全に陥った臓器のパーセンテージが少ない多いというなら選択の余地はないが、僕の場合微妙なのだ。

 人間として生きるには絶対に50パーセントを超えてはならないのだが、オペ後の精査で超えているケースもあるのだ。その逆もある。本人の意思が反映されないケースがあるのがとても不安だ。いつまでも考えている時間はない。早急に答えを出さないと、それこそ命の危険が迫ってくるのだから。こんなことなら、ちゃんと「意思表示」しておくべきっだった。「意思表示」とは、万が一に備えてのインフォームドコンセントのようなものだが、サイボーク化を希望するかしないかという項目が新たに追加されたと聞いたことがある。

 人間を採るかサイボーグを採るかで、その後の人生が大きく変わってしまう可能性が指摘されている。サイボーグであることを隠しながら生きている者もいる。いっぽうで、堂々とサイボーグだとカミングアウトして生きようとする者もいる。身体能力は遥かにサイボーグが上になるが、精神面での見えない差別に苦しんでいるものも少なくないと聞く。昔は人種差別が大きな社会問題になった時代があった。ジェンダーの不平等問題も歴史が証明しているとおりだ。人間という生物は、いつの時代になっても排他主義がなくならないものなんだ。地球人はまだ宇宙人と遭遇していないが、このままだときっと宇宙人が現れたら追い出しかねないね。この先宇宙開発が進むと不慮の事故も増えるだろうし、地球温暖化のつけによる自然災害の猛威の犠牲者は確実に年々増えている。サイボーグの絶対数はまだ少ないが、確実にサイボーグ人口は増える。そこへサイボーグへの偏見や差別が増幅されたとき、そうなったとき・・・人間対サイボーグの飽くなき抗争が勃発する可能性も否定できないだろう。

 そこまで考えをめぐらしたとき、ドクターがやってきた。

「君はずいぶん悩んでる様子と見たが腹は決まったかね?」

「正直言ってまだ決めかねてます」

「君にいいものを見せよう」

ドクターはそう言って自分の手首をいきなり引き抜いた。

現れたのはいくつかの小さな突起物。

「これはオペに使う道具だ。私もサイボーグだよ」


さて僕の出した答えは当然サイボーグだ。


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この度、過去にブログで紹介した記事を元に再編して書き下ろした「誰にも教えたくない写真上達法!パート1~4を出版しました。著者ページは以下のURLよりご確認いただけます。

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写し屋爺の独り言by慎之介

SFショートショート集・・・《写し屋爺の独り言by慎之介》 写真関係だけではなく、パソコン、クラシック音楽、SF小説…実は私は大学の頃、小説家になりたかったのです(^^♪)趣味の領域を広げていきたいです。ここに掲載のSFショートの作品はそれぞれのエピソードに関連性はありません。長編小説にも挑戦しています。読者の皆さんがエピソードから想像を自由に広げていただければ幸いです。小説以外の記事もよろしく!

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