アルフ家の家政婦ロボ
ニーナがここにやってきたのは今から100年も前だ。ここはアルフ家の居住する一軒家。ここに来た当時はアルフ家の家族にすんなりと受け入れられる状況ではありませんでした。当時の人型ロボットは単なる人間の生活環境を補助するための「道具」でした。一般家庭にとって人型ロボットはまだまだ高価な家電製品だったのです。特に小さな子供に対しては親もロボットに神経をとがらせていました。
当時トミーという7歳の子供がいました。何にでも興味を持つ年頃で、特にトミーはロボットのニーナと遊ぶのが大好きでした。子供は時に理不尽極まりない行動をすることがあります。
「ニーナ、ここから飛び降りてみろよ」
「坊ちゃまそれは出来ません」
トミーは二階のベランダから庭の芝生に飛び降りることを強要したのです。当然飛び降りたらロボットでも体のどこかを損傷する可能性を計算して答えました。
たとえロボットでも自己防衛機能が備わっていますので、人間の命令に素直に従うことはできない状況です。
「おまえはロボットだから痛くないだろ、壊れたら修理するからさぁ、自分の限界を知っておいたほうがいいよ」
庭に飛び降りたニーナは案の定右足を損傷してしまいました。人間ならこれくらいでは済まないところです。
トミーが母親にこっぴどく叱られたのは言うまでもありません。
ニーナはメーカーに修理を依頼して中一日で戻ってきた。その際メーカーはAIをバージョンアップしました。ある程度の物理的損傷や思考回路の修正が自己完結できるようになったのです。これからはちょっとした不具合は自己修正できるのです。それ以降は自らの判断でネットに接続してAIの自己修正とバージョンアップを繰り返してきました。
20年後にはトミーも成長して結婚し、子供もできました。でも、バージョンアップのサポートもなくなり、修理の代替え部品も底をつきようとしていたにも関わらず、相変わらず時代遅れとなったニーナを家においてくれていました。その頃の最新型ロボットは、外見はほぼ人間そっくりです。食事の支度から介護までほぼ何でもそつなくこなします。ニーナはというと、ぎこちなくいかにもロボットという風情でギクシャクした動作ですが言葉遣いだけはとても丁寧でした。トミーにしてみれば、いかにも人間的な温かさのある言い回しをとても気に入っていたようです。
ニーナに搭載のAIは自己修正の度に異常とも思える形で進化していったのです。他のAIにはない人間的な感情の起伏を再現できるようになったのです。最新型ロボットは外見こそ人間に酷似しているのですが、感情の表現という点で疎かになっていました。メーカーにしてみれば、古くなったロボットはさっさと新型に交換してもらいたいわけです。あまりロボットに感情移入されることを嫌いました。なので、当然ですが感情表現のレベルは低く抑えられていたのです。
そしていつしかトミーも100歳を超え、パートナーも90歳を迎えました。子供たちは独立して家を出ていきました。しかし相変わらずニーナの外見は昔のままだ。
ある日トミーはニーナを呼び寄せて言いました。
「私や婆さんがいなくなったらどうしたい?」
「私はいつまでもあなたのおそばにいたいです、それが叶わぬ時が来たら・・・私自身を壊します」
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この度、過去にブログで紹介した記事を元に再編して書き下ろした「誰にも教えたくない写真上達法!パート1~4を出版しました。著者ページは以下のURLよりご確認いただけます。(なぜかPCでのみ閲覧可能)
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