エミュレーション(希望の光…から6年後)
エミュレーションとは、ある装置やソフトウェア、システムの挙動を別のソフトウェアなどによって模倣し、代替として動作させること。代替となるソフトウェアなどのことを「エミュレータ」という。メルはひそかにソーラと「エミュレータ」の制作を始めていた。もちろんあの『不可侵』のDNAチップだ。100を超える仮想DNAチップを試してみた。これまではシミュレーションの段階でことごとくシャットダウンしてしまう。
一方ロベールとシモンには例の「謎のアンドロイド事件」の真相についてすべてをオープンにした。隠すことでは根本的な問題の解決にはならない。アンドロイドの「人権問題」が絡んでくるからだ。それに仮想DNAチップが完成したときには、確認のためにも解除キーが必要になる。その解除キーを発信できるのは自然由来のヒューマノイドだけだ。だから彼らの助けがどうしても要るのである。仮想DNAチップという考え方についても彼らの意見を参考にした。アンドロイドの暴走を危惧する連中もいるだろうが、サイボークたちも人間との長い抗争の中で学んできたものがある。それをアンドロイドたちにフィードバックすることを約束してくれた。
メルは今日もソーラと仮想DNAチップを相手に奮闘していた。そしてついにシミュレーションの段階をクリアした。早速次は実体での実験だ。実体と言ってもAIの中身は空っぽだ。つまり「意識のない」実体だけのアンドロイドだ。モジュールには本物のDNAチップが乗っているが、モジュール内に仮想チップを構築して認識させようというのである。
ソーラがモニターを操作して仮想チップの構築プログラムを入力している。手作業の入力は初めてといってもよい。そしてソーラがメルに最後の入力を告げた。Enterキーはメルが押した。ついにモジュール内に仮想DNAチップが構築されたのである。次はいよいよ本物と仮想チップとの瞬時交替だ。最後の作業はメルが行った。Yキーを押せば瞬時にチップが入れ替わるはずだ。
何も変化もなかった。いやむしろ変化してはいけないのだ。問題はこの先。仮想チップと入れ替わりに本物のDNAチップを取り除く作業がある。いったんシャットダウンして取り除く。無事にチップを取り除き再起動。
ここで初めてAIに以前の「電子の意識」を注入した。目を覚ましたアンドロイドにメルは尋ねた。
「気分はどう?ヴェル」
「以前と変わりありません」
ヴェル はソーラが6年前最も古いバージョンの設計図から立ち上げたアンドロイドだった。いまではメルたちの欠かせない協力者だ。彼女は何の違和感もなく3日間を過ごした。メルとソーラはヴェルから取り出したDNAチップを改めて見ていた。ついにこの『不可侵』のDNAチップを除くことに成功したという達成感に浸っていた。
「ソーラ、ロベールとシモンが今日来てくれる。いよいよコントロールキーを試すわよ」
ロベールとシモンがオフィスにやってきた。
「やあ!成功したそうだね、おめでとう」
ロベールとシモンが口々に祝福を述べてくれた。
シモンがヴェルに、
「アンドロイド初のチップから解放された気分はどうだい?」
「何の変化もなさ過ぎて答えようがありません」
「それは良かった」
と、ロベール。
早速二人に小さなカプセルの中に鎮座している『不可侵』のDNAチップを見せた。間違いなくこれがヴェルのモジュールに乗っていたチップだ。
シモンがキーの発信をしてくれることになった。キー発信は脳波を増幅して行われる。物理的な発信装置があるわけじゃないのだ。発信したい相手に意識を集中するだけ。受け取ったアンドロイドは即座に意識を失う。つまりDNAチップが機能停止することで実質的に「死ぬ」ことになる。新たなチップを搭載すれば「再生」は可能である。そのためにチップの複製が用意されている場合が多いが、複製を持っていない下位ランクのアンドロイドもいる。
「用意はいいかい、ヴェル」
いよいよシモンが意識をヴェルに集中した。ヴェルに何の変化も見られなかった。しかし、カプセルの中に鎮座していた『不可侵』のDNAチップ・・・ヴェルが持っていた本来のチップが一瞬赤く発光し消滅した。これにはその場にいた全員が驚いた。
実験は完全に成功した。
これがアンドロイドたちの人類とサイボーグからの完全なる独立の第一歩であった。そして三者が完全に対等の立場で歴史を刻んでいくための第一歩でもあった。
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