ヒューマンセンス
あのカーラとメグとやらに弱点はないのか?
ハルムたちの報告を聞いていたマリコフは大きくため息をついた。
「ヒューム人の子孫とは恐れ入った。だが、核を持っているのはメレンチーだけではない。まだ打つ手はいくらでもあるわ」
マリコフはラクサム人だ。惑星ラクサムはすでに死の惑星となっていた。地球歴で30年ほどまえ核使用の末に人が住めなくなり、ラクサム人は故郷を持たない銀河の放浪者となってしまったのである。多くのラクサム人は難民となり、彼らを受け入れてくれた惑星はあったが、異文化を拒絶する文明社会も少なくなかった。迫害を受け続けた一部のラクサム人たちがいつしかマリコフのもとに集まってきた。冷遇され弾圧の対象となりつまはじきにされるという集団の協調から除外され続けた彼らは、いつしか復讐の念を抱くようになってしまった。核によって人生を狂わされてしまったマリコフは、憎むべきは核のはずだが、その核を使って彼らを無意識に迫害してきた無垢の民たちに対して復讐の女神として蘇ろうとしていた。そして、マリコフの周りには様々な罪人が集まってきてしまった。”類は友を呼ぶ”とはこの事であろう。
マリコフはサラ・アロンとニナ・アロンを呼びつけた。
「いよいよお前たちに出番を与える時が来た。地球に行って存分に暴れてくるがよい。お前たちの特異能力を発揮して核を頂くのよ。私の計画を伝えるよ・・・」
サラとニナは一卵性双生児だ。地球のサリームたちにとって新たな脅威になろうとしていた。
その頃地球ではリビア危機収束から1か月が経過していた。リビアや関係国はようやく核兵器からの脅威を脱して人々は通常の生活を取り戻しつつあった。だが、インフラ復興までの道のりは遠い。この一連の騒動で世界中から注目を浴びたのはもちろんサリームメンバーである。カーラとメグそしてスカイ・フォーだ。スカイ・フォーの正体は一般市民にとっては不明のままになっている。地球人なのかヒューム人なのかそれともクアンタムAIなのかサイボーグなのか一切明かされていない。それに引き換えカーラとメグは、成り行きとはいえ、スーパーヒーローの素顔を惜しげもなく公開してしまった。これが吉と出るか凶と出るかは誰にも予測できない。
サリームメンバーとウィン博士、それにルスラン博士がソフィアのオフィスに集まっていた。ウィン博士とルスラン博士は再びコンビを組んでソフィアで仕事を始めることを皆に伝えた。そのうえでルスラン博士からの提案が示された。スカイ・フォーとラウロはクアンタムAIだ。とりわけラウロはルスラン博士の子供の記憶を持った、博士にとっては特別なクアンタムAIである。今ではラウロも”三原則”を解除されている。そして、人間としての記憶を持っているラウロの要望もあって、クアンタムAIに新たな機能が加わろうとしていた。ただし、すべてのクアンタムAIに搭載を許可されるのかは、政府との協議次第ではある。機能というよりも、これは感覚である。これにはヒュームのテクノロジーが関与していた。実はルスラン博士がメレンチーのもとにいたとき、ハルムたちに違法薬物と引き換えに供与されたヒュームのテクノロジー資料の中に見つけた技術であった。
手始めとしてラウロが実験台になることが決まった。人間が本来持って生まれてきたすべての感覚器官をテクノロジーに凝縮して人工生命体に還元する技術だ。わかりやすく説明すると、視覚、聴覚、嗅覚、痛覚、味覚を司る感覚器官を総合的に統括するテクノロジーのことであり、それを人工生命体で再現するための技術なのである。すでに視覚、聴覚、臭覚はクアンタムやサイボーグにも備わっていたが、痛覚、味覚までは地球の環境では重要視されてこなかった。しかし、ここで言うヒュームのテクノロジーはまったく進化の度合いが違っていた。個個の感覚器官の強度をコントロールできる。聴覚は基本的には大気中を伝わる振動(疎密波)を通して音を感じる知覚機能のことであるが、犬の可聴域が65~5万Hzに対して、猫は25~7万8千Hzである。ちなみに人間は16~2万Hzが可聴域で、猫は人が聞き取れない超音波を聞き取れる。ヒュームのテクノロジーでは、10~9万Hzまで拡張できる。猫以上の聴覚を獲得できることになる。視覚についても拡張できる。単なる視力という枠を超えてX線さえも照射できるのだ。X線は、電波や光と同じ電磁波の一種だ。X線の波長は紫外線よりも波長が短く、1pmから10nm程度であり、金属や骨など密度が高い物質は透過せず、紙や皮膚、布など密度が低い物質は透過する性質を持っている。
そして痛覚だ。痛みは、あるレベルを超えると非常につらい感覚であり、なぜこのような感覚が必要なのか、と誰もが思う。しかし、痛みは人間が生存するためには必須の感覚である。痛みは、病気やけがなどで損傷した組織を修復する間、体を動かさないように警告する役割を担っている。だから、クアンタムやサイボーグたちには必要ないとされてきた。この痛覚もクアンタムやサイボーグたちに装填できる。しかも装填後は状況に合わせて自分で痛みの強弱をコントロールできるのだ。
さらに、動物の五感の一つである味覚は、食べる食物に応じて認識される感覚だ。この味覚についてもこれまでは食事を必要としないクアンタムやサイボーグには不要の感覚として扱われてきたが、ルスラン博士はこの感覚をラウロに与えようとしていた。ラウロには人間としての記憶が埋め込まれている。だから、食事ができる、あるいは楽しむという事がラウロにとってもっとも違和感のない人間的な行動として受け入れやすい。さらに人間に近づくことになるだろう。もちろん体内に消化機能も装備してすべてをエネルギーに変換する。そこまでヒュームのテクノロジーはサポートしてくれるのだ。もしこれが実現できれば、サイボーグたちにとってもとんでもない朗報になるだろう。サイボーグたちは元来人間として生きてきたのだから、人間らしさを最も感じることができるのはやはり「食事」を楽しむという行為になるからだ。
これらの感覚をルスラン博士は”ヒューマンセンス”と呼んでいる。ヒュームのテクノロジーによって、”ヒューマンセンス”をクアンタムやサイボーグたちの身体に還元できることを望んでいた。その第一歩として博士の子供の記憶を持ったラウロに施すことになったのである。
そんな矢先、マリコフの回し者サラとニナは地球にやってきた。もちろん彼女たちの狙いはカーラとメグであった。
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