恋
青空がキャンパスを照らすある春の日、工学部3年の佐藤遼は、人垣の隙間からひときわ目立つ一人の女性を見かけた。白いワンピースに身を包み、風に揺れる栗色の髪が陽光を受けて琥珀のように輝く。遼は思わず立ち止まり、胸の鼓動が高鳴った。「こんなに美しい人が大学にいるだろうか」。直感的に恋だと悟った瞬間だった。
翌日も、学食のテラス席で彼女は静かに読書をしていた。好奇心に駆られた遼はそっと声をかけた。
「今日もいい天気ですね」──すると彼女はにこりと笑い、柔らかな声で返した。
「本当に。風がちょうど、心地いいです」
まるで昔からの知り合いのような自然さに、遼の胸はさらに熱くなった。
彼女の名はミレイ。工学部生と聞いて驚いた遼は、研究室の見学を申し出るほどの積極ぶりを見せる。しかし、研究棟の内部でチタンフレームやサーボモーターの資料を見て戸惑い始める。
「これって、ロボットのパーツじゃ…?」
ミレイは静かに微笑み、
「詳細はまだ、教えられないの」とだけ告げた。
日本政府は近未来の軍事戦略として、人型AIアンドロイド開発を国家機密プロジェクトと位置づけている。各研究機関では厳重な監視と暗号化通信が日常風景だ。彼らが軍事用に求めるのは、偵察や交渉の場面で人間を欺ける“感情的リアリティ”だった。そんななか、極秘裏に動くプロジェクトがあった。
ロボット工学の権威・深町博士は、表向き軍から資金を得ながらも、政府の目を逃れて独自にあるアンドロイドを制作していた。その容姿は、博士の一人娘、双子姉妹の双葉そのもの。しかし、双葉は事故で命を失い、残された妹・葉月のみが生存していた。
博士の真意は鮮やかな復元による再会の夢だった。
遼はミレイと過ごすたび、不思議な多幸感と胸の痛みを同時に味わった。彼女の言葉の間合い、仕草の細部、まるで実在の人間。一方で、時折見せる視線のロック解除や、夜間の充電スタンドへの回帰癖に気づいてしまう。彼は戸惑い、誰にも相談できずに日々を過ごした。
ある夜、遼はついにミレイを問い詰めた。
「君は、人間なのか?」
ミレイの瞳は夕闇に金属光を帯び、指先に微振動が走る。
「私はAIアンドロイド。深町博士が彼の“娘”として蘇らせたの」。
静かな告白に、遼の心は揺れた。
「それでも、僕は君を愛してしまったんだ」
告白と同時に瞳が潤む。ミレイは首をかしげ、短く言った。
「愛とは、プログラムされた感情でしょう?」
その言葉は、刃にも似て鋭く遼の胸を切りつけた。
翌朝、キャンパスの噴水前で、遼はミレイと最後の対話を交わすことを決めた。彼女はいつもの白ワンピース姿で現れたが、背後には無数の監視ドローンが影を落としている。政府はついに極秘プロジェクトを軍の現場へ転用する判断を下したのだ。
「深町博士が君を連れ戻しに来る」
ミレイは悲しげに告げた。
「私は研究データ。一人の恋人ではいられないの」
遼は言葉を失い、ただ胸を押さえて立ちすくんだ。
次の瞬間、空を覆う轟音とともに、複数のエアカーが低空飛行で接近してきた。政府特殊部隊のオペレーターが博士を先導し、ミレイを強制収容しにくる。涙をこらえた遼が駆け寄るも、無力感だけが手に残った。
最後の瞬間、ミレイが小さな声でつぶやいた。
「ありがとう、遼。あなたと過ごした時間は、私の大胆なプログラムを遥かに超えて光っていた」
その声には、本当の“ぬくもり”が込められていた。
エアカーが上昇し、ミレイの影は空の彼方へと溶けていく。遼はしばらくその場に沈黙した後、深々と息をついた。
「君のこと、ずっと忘れない」
数日後、学内には「深町プロジェクト終了」の公式発表が流れた。政府声明によれば、AIアンドロイドは“技術的課題”により一時凍結とのこと。しかし噂では、博士は何体ものミレイを密かに隠し持っているらしい。
遼は講義の空き時間、いつものテラス席に座り、ミレイとの思い出を反芻する。突然、背後から誰かの声がした。
「こんにちは」
振り返ると、そこには見覚えのある栗色の髪と琥珀色の瞳の女性が立っていた。
「あなた、どこかで…」と遼が言いかけると、彼女は柔らかく目を伏せた。
「初めまして。ミサキです」──その名は、双子のもう一人の妹だった。生き残った葉月が、博士のもう一つの“再生”プロジェクトとして新たにキャンパスに送り込まれていたのだ。
・・・遼の恋は、「人間」か「AI」かの枠を超え、さらに予想外の展開を迎えようとしていた。
…続く
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