ボディ・コレクターズ
薄曇りの朝、東京西部にあるリバース・ラボ社ビルのロビーで、佐藤充(52歳)はやや浮ついた足取りで受付カウンターに向かった。彼は今日、新たに“ミドルエイジ・ボディ”と呼ばれるサイボーグボディを試着する予約をしている。若返り願望というより、これまでの身体的衰えを笑い飛ばすためのジョークのつもりだった。
受付嬢の端末画面には、彼のストックボディ・リストがずらりと並んでいる。
「佐藤様、本日は〈スポーツマシン・X〉と〈クラシカル・スリム〉のどちらにされますか?」
薄い笑顔の向こうで、佐藤は一瞬たじろいだ。数ヶ月前まで、こんな選択肢をワードドキュメントですら想像しなかったはずだ。
一方、その同じビルの最上階では、青年アレックス(23歳)が最新の「ハイパー・バトルボディ」を試していた。彼は民間軍事企業の依頼を受け、宇宙開発の次なる有人火星基地建設に参加する予定だ。火星の砂塵をものともしない頑丈さと、低重力環境下での俊敏性を両立させた驚異的な肉体…それが彼の今日のお買い物である。
廊下ですれ違う二人の表情は、用途こそ異なるものの、どこか似ていた。身体を自ら選ぶ日常・・・いつの間にか、それは当たり前になっていたのだ。
昼休み、エレベーター前の自販機コーナーには、ベンチャー起業家の吉川理沙(38歳)がメンターと熱心に議論していた。彼女の最新プロジェクトは、高齢者向けサイボーグボディのレンタルサービス「リシェイプ・エイジ」。要するに「電子化した意識」をあらかじめ登録しておき、老後に衰え知らずの身体で第二の人生を謳歌してもらおう、というものだ。
「でもさ、肝心の『戻る場所』が壊れたらどうするの?」とメンターが問う。
理沙は自信満々に答える。
「壊れる確率は低いですし、もしものときは法整備で意識維持装置を義務付ければいいんです!」
理沙の笑顔は他人事のように輝いていた。だが、その背後には、凍結保存されたオリジナルボディの無機質なチューブが並ぶ保管庫の冷気が静かにうなっている。
午後・・・佐藤はリバース・ラボの社員からプレゼンを聞いていた。
その社員は「趣味別カスタムボディ・サブスク」のアイデアを提示しており、ゴルフ用、ダイビング用、コンサート用──趣向に合わせてボディを借り換えられるプランを説明している。
「気分は第三者的に選ぶもの。靴やシャツを着替える感覚で、ボディをチェンジできるんです!」
佐藤は椅子に深くもたれると、苦笑交じりに眉をひそめた。趣味優先の便利さがもたらす奇妙さを、どこかで感じ取っていたからだ。
夜・・・リバース・ラボ社では厳重な監視のもと、ひとりの女性の意識移植手術が進められていた。だが、そのオリジナルボディは既に致命的な損傷を受け、再生不可能と判断された。新しいボディに移植された瞬間、彼女の意識は帰る場所を完全に失った。
手術室のスクリーンが赤く点滅し、医師たちが慌ててコンソールに群がる。
「何だ、このエラーコードは!? オリジナル回路からのレスポンスが・・・」
誰かが声を震わせる。しかし、その先の処置は法的にも定められておらず、社内では沈黙が広がった。
結局、彼女の意識は永久にサイボーグボディに留まることとなる。法的には「身体を持たない存在」と認定され、人権の多くを剥奪されたままになるのだ。
月が照らすラボ裏手の駐輪場。
佐藤は深呼吸しながら、自分の旧ボディ…冷凍保存されたチューブの写真をスマートグラスに映してみせた。そこに刻まれた数値は「凍結開始:2076年7月18日」。30年近く前のものだ。
彼はボディを選ぶ前に、もう一度よく考えたかった。もし失敗したら、帰る場所を失うリスクは本当にないのか? 便利さの陰に潜む、取り返しのつかない代償を・・・。
そのとき、背後から小さな声が聞こえた。
「ねえ、お兄さんもボディ集めてるの?」
振り返ると、地下駐輪場の隅でひとりの少女がタブレットを覗いている。子どものように無邪気な瞳で、ストックしてあるボディのリストを自慢げに見せた。
彼女は自称「ボディ・コレクター」
おしゃれ感覚でボディを交換し、SNSにアップして人気を博している。
佐藤は少し考え込んでから、ポケットの中の予約証を取り出した。
「……気分で選ぶ、ってのも、案外悪くないかもしれないな」
少女はきらりと笑い、タブレットを片手にエレベーターへと駆け出した。佐藤もその後を追いかけながら、胸の奥に小さな痛みを感じていた。帰る場所への愛着と、新しい身体への好奇心が交差して、奇妙な鼓動を生んでいる。
翌朝、リバース・ラボ社のロビーはいつものように賑やかだった。社員、顧客、メンター、起業家、アイドル……身体を選ぶ理由はそれぞれ違う。だが誰もが、選択の自由と引き換えに、未来へ踏み出している。
その中に、あの“帰る場所を失った”女がいることを、きっと誰も知らない。
彼は今日もハイパー・バトルボディを纏い、初陣の準備に余念がない。
心の奥に抱えた孤独と、皮肉めいた笑いを隠しながら・・・。
そして、エレベーターのドアが閉じるその瞬間、ふと彼は思う。
「これが、僕の最期のボディなら、せめて楽しんでやろう」
無言のまま、リバース・ラボはまた新たな一日を迎えた。
自由と背中合わせの選択権。誰の身体にも、帰る場所にも、物語は終わりを告げない・・・
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